さぁ何時なりと

雑記ばかり。クソインキャ女子大生。

「脳がちぎれるほど考えよ」

日々、革新的な展開を見せるソフトバンクの創始者・孫正義さん。

もしかしたら、日本の総理より名前が世界に知れ渡っているかもしれませんね。

別にソフトバンクの回し者ではないのですが、Youtubeでふと目にした孫さんの演説などを見てグッときたので、今日はそういうことです。自己啓発デーです。

 

 

・彼の生い立ち

孫正義さんは1957年、佐賀県在日韓国人三世として生まれました。

家は貧しく、ぼろぼろのトタン屋根の下で暮らしていたといいます。

彼が中学生の時、父が病に倒れました。兄は高校を辞め、家計の収入を賄い、母は泣き暮らし、家族の危機に瀕したとき「実業家になろう」と決意したのです。

もちろん、そんな簡単に友達や先生、家族が見送りだしてくれるわけもなく、みんなが止めたそうです。

それでも彼は「アメリカに行って何かをつかんで事業を興す」と約束し日本を出ました。

 

アメリカのサンフランシスコのセラモンテ高校に編入してすぐのことでした。

「教科書の内容は全てわかるから、カリフォルニア州の大学試験検定を受けさせてくれ」と校長に掛け合ったのです。(やばすぎ)

しかし、ここはアメリカ。問題は全て英語で出題されます。そこで孫正義は「日本語ならばこの問題は解ける。辞書を貸してくれ」と言い出します。

校長だけでは話をつけられず、州の知事にまで電話で交渉。そして、辞書の持ち込みと時間延長という特例を獲得。見事合格した。

ホーリーネームズ大学入学後すぐに、彼は1日1つ発明をしてそれを続けると決意しました。その間に生まれた「音声装置付きの多国語翻訳機の試作品」はシャープに1億円で買い取られました。

 

・会社の設立

彼は1億円で会社を立ち上げました。22歳のことでした。

日本に帰国後、40種類の事業の中から「50年やり続けられるもの」「ナンバーワンになれるもの」など独自の基準で分析し当時まだなかったソフトウェアの卸事業をはじめることにしました。

現実は甘くありませんでした。毎月1000万円もの赤字を繰り返し頭を抱えた時期もありました。しかし、そこで彼はテレビ宣伝などを行い、翌年には35億の売り上げを誇る立派な企業に立て直したのです。

 

・世界に広がっていく「ソフトバンク

立ち上げ当初は「日本ソフトバンク」という社名でしたが、1990年に「日本」が外れ「ソフトバンク」に変更。世界を視野に入れた社名変更と言えるでしょう。

そして1996年にはポータルサイト「Yahoo Japan」を設立。

企業家としては十分すぎる功績を遺しました。

 

そんな親孝行すぎる孫正義は後継者たちにこうなってほしいという「ソフトバンクバリュー」を次のように掲げている。

1)情報革命で人々を幸せに

2)志高く、正義を貫け

3)圧倒的No.1にこだわる

4)脳がちぎれるほど考えよ

5)地に足がついた革命はない

     (続く)

学校の校歌みたいですが、彼の生い立ちなんかを聞くと「あぁ…なるほど」とどこか胸にくるものがあります。

家族のため、と決意した企業家の夢をかなえた今、彼は顧客のため、を第一に日本のソフトウェア企業の一線を走っています。

 

持論ですが、いい上司にはいい部下が自然と集まって来ると思います。

卵が先か、鶏が先かの話になりますが、いい人はまず出世します。

そして、そのあと自分の部下ができたとき、その部下に対して情熱や愛情を注ぎます。

そりゃあ激しく怒られることもあるでしょうが、愛情の中で育った部下は必ず出世します。以下同じです。

とても簡単なようですが、人を育てるというのはとても大変なことです。

子供を授かったこともないケツが青い女子大生の私が言うのもあれですが、部下の育て方がうまい人は必ず出世します。友達もたくさんいます。家族も笑顔が溢れて…。

 

甘いのではなく優しい、説教ではなくアドバイス

そういう先輩になりたいです。(出世したいなんてよこしまな気持ちは存分にあります)