さぁ何時なりと

雑記ばかり。クソインキャ。

沈黙は無ではない

教職課程で生徒指導という科目があります。

この科目は、生徒指導提要という生徒指導に関する文部科学省の指標をまとめた教科書のようなもので、教員はこれに則って生徒を指導します。

 

まぁその科目の中で、自立支援施設の寮長の話がありました。その寮長は寡黙な方にも関わらず不思議なくらい寮生に慕われていたそうです。

 

ある日寮生の女の子が施設を無断で抜け出してしまったのですが、三日ほど経って自宅近くのゲームセンターで補導されました。

 

寮に戻ってきた女の子が寮長の指導を受けるのですが、それが凄いのです。

 

寮長は「なんで無断外泊したんや?話しなさい」と「うんうん。で?」と「わかる。わかるけど、あかん」これだけです。

 

女の子は指導室の椅子に座った時、むすっと反抗的な態度を示し寮長が「なんで無断外泊したんや?話しなさい」と言ってから言葉を発するのに約20分の時間を要しました。

普通ならば「早く言いなさい!」と催促しがちですが、寮長はその20分間、女の子に急かすような言動は一切せず、じっと20分間待ちました。

 

黙っていても子どもの頭の中は物凄い速さで頭を回転させています。私たち大人が頭ごなしに叱りつければ子どもは「本当はこうだけど、今こう言ったら怒るかな」「本当のことを話した方が怒られる」「怒ってるから謝らなきゃ」と萎縮し、何も話せなくなってしまったり、真実を説明する方が怒られると考え、すべて私が悪いと自分を責めてしまいがちになります。

沈黙こそが一番大事なのです。

じっと待ってあげるのが大人の仕事です。

 

これを聞いて私はもう嬉しくてたまりませんでした。私も人を怒らせがちなのでひとよりおこられることはあるのですが、今までずっとガミガミ怒られることが多く、こっちの意見やこっちの心情を聞いてくれる人はいませんでした。

「なんでこんなことしたのか」より「こんなことは何があってもいけない」に注目しすぎなのです。

もちろんどんな理由があっても殺人はいけません。しかし「劣悪ないじめを受けていた」「親から暴力を受けていた」「寂しかった」大なり小なりありますが、理由は必ずあるはずです。

それを聴いてあげてから、理解してからではないと「でもあかん。」は本人に響きません。

頭ごなしに叱ってもその子はまた同じ過ちを繰り返すでしょう。理解されない苦しみ、解決されない原因、それらが蔓延る限り悪循環は続きます。

それに子ども自身は自分の過ちを理解しています。ただ「あかん」と言っても子どもからしたら「そんなんわかっとる!」という気持ちにさせてしまいます。

 

この話は教育に関わらず、恋愛や、会社でも使えると思います。遅刻してきた恋人を叱る時、ミスを隠していた部下を叱る時、みなさん頭ごなしに怒っていませんか?

「なして遅れたん?」「なんで隠してたん?」

答えを聞くのに時間はかかるかもしれませんが絶対に待ちましょう。

「前日遅くまで働いてて、寝坊してしまった」「言ったら怒られると思って」

本当のことを話してくれたことに感謝して

「それなら午後に待ち合わせすれば良かったね、ごめんね」「隠す方が困るわ!それにこんな事じゃ俺は怒らんよ〜」くらい心に余裕を持った指導をしたいです。